認知スキルと非認知スキルと教育

非認知スキルが取り沙汰されていて、学び合いとかアクティブラーニングが注目されている世の中、ちょっと備忘兼ねてかいておく。

 

知識や単純な計算自体は、コンピュータ、インターネット時代にはあまり必要ない人が多いはず。

かつ、非認知スキルに含まれる意欲や自信、忍耐力があれば、自学による認知スキル向上が容易なので、認知スキルは学者時間との関数でしかないはず。

認知スキル≒bs
非認知スキル≒基礎営業キャッシュフロー
だとおもっていて、時の流れとともに認知スキルの資産性が毀損してるのでは、という感じ。

 

ただ、知識をもとに抽象思考をして、文脈のもとに再構成するスキル自体は価値が高いままで、抽象化スキルも再構成スキルも、コアの部分を重ねあいながら多種類に細分化される感覚。

 

また、抽象思考力は、個人差はあれど、年齢とともに発展する研究があったはずなので、適切な教育時期が存在するはず。

 

結果として、

幼年期→非認知スキル、特に意欲と自信と自律心の萌芽・醸成

少年期→チームリーディング・ファシリテーション・コミュニケーションスキルの醸成(異文化理解と語学力、多様性への肯定を含む)、抽象思考の前提となる認知スキルの向上

青年期→抽象思考スキルの醸成、非認知スキルの研磨、一部分野における専門性の獲得

がミクロに上手くいきていくためのスキルセットの流れじゃないかと思う。

そして、これを日本の教育システムで全部やるのは難しいし、出来るとしてもお金と時間をかけざるを得ないと思う。

 

一方で、マクロな社会教育としては、労働者の供給と社会秩序の維持の観点からすると、既存の教育体制が間違っているとは必ずしも言えないと思っている。というか、考える限り大枠としてはベストなのでは?という気がする。

 

平等とか、教育機会をオープンにする、とかそういう思想を否定するわけではないが、経済合理性の観点からすればおそらくエリート教育を分離して変更することが正しい。マクロ教育については、価値基準と経済観念の微修正でなんとかなるはず。

 

ミクロ教育の方策については別に考えるとしてとりあえずここまで。